モリログ

20代後半ワーパパの雑記ブログです。

日記を書くということ

最近Voicyを聞いていて思ったことがある。

パーソナリティーに日記を書いている人が多い。知っているだけでも、はあちゅうさん、サウザーさん、北野唯我さん、紗倉まなさん。しかも最近ではなく前から継続して続けてる。

最近の北野さんと紗倉まなさんの対談Voicyを聞いて日記って人生を豊かにするとっても手軽なツールなのではないかと感じた。

voicy.jp

各人の日記論みたいな対談を聴いてみたいものだ。

 

この人たちに共通することを考えてみたけど、みんな何かしらの分野で大活躍している。やはり日記には壮大なる力があるのではないだろうか。

これかれの時代アウトプットは大切と言われるけど、ブログなどの対外的なものではなく日記とは内省するためのもの。ブログだと体裁を整えないと行けないけど、日記は違う。思ったことをそのままストレートに書けばいいだけである。思ったこと感じたことをそのまま言語化する。文脈も気にすることはないのだ。

私はその日記の力わかってはいても、継続ができない。それはやはり何を書いたらいいのかわからないことがあるから。特に何もなかった日、「何もなかったからいいや」と思い書かないのである。しかしふと考えてみると日記とは書くことが目的ではないのである。その日あったこと、思ったこと、感じたこと、やりたいこと、いやだったこと、そんなことを書き綴り自分を理解し、より明日をよくするためのツールなのだと。つまり、何もない日で何も感じない日などなくて、「つまらない」「何もなかった」というひとことだけでもいいのではないかと最近感じた。大切なのはそのあと、じゃあ明日楽しくするにはどうするのかをその日のうちに考えることではないのかと。

話は脱線するが、先ほど日記継続しないといった私だか幼少期は継続していた。というのも小学校時代に宿題というのがあるのだが、その内容は特段指示されるものではなく。家庭学習ノートなるものに1〜2ページ使って好きな科目を勉強すればいいのだ。当時の記憶はないのであるが私はほぼ毎日「日記」を書いていたのである。大人になったいま続かない日記を子供時代はなんと自然にやっていたのである。

子供というのは純粋なのでなんてないこともかけるのだと思う。でも日記なんてそんな感覚でいいのではないかと最近感じ始めた。やはり継続には無理をしないことが重要なのだと。

 

 

はい、今日のブログは上記にあるように日記を意識して書いてみました。いつも以上に読みづらい模様。読む側のことをあまり考えず、とりあえず思ったことをカキカキする。あっというまに1000文字も書いていることに驚く。こういう意識をもって月3、4つしか更新しないブログもやっていければいいのではないか。結局私は早く結果を求めてしまうのではないかと最近思う。長期的思考が弱いのだと思う。

ということで、とりあえず何でもいいから日記を書く、ブログもあまりとりあえずかいてみるというところからはじめて見ようとおもう。

 

ではまたね。